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 堀 智勝 先生プロフィール
【氏名】堀 智 勝
【生年月日】昭和19年(1944年)2月22日(65歳)本籍 東京
【学歴】1968年3月 東京大学医学部医学科 卒業

私は1968年、大学紛争真只中の昭和43年に卒業しました。 
当時はデモや交通事故も多く、大学紛争が起こった為、大学では研修できなくなり、昭和44年から警察病院のレジデントとして本格的に脳神経外科全般を勉強し始めました。           
部長は頭部外傷で有名な東大助教授中村紀夫先生で(後に慈恵医科大学名誉教授)、外科・麻酔科・神経内科(東邦大学で研修)などを学んだ後に脳神経外科にどっぷり漬かり、まず初めに多くの外傷(陥没骨折、急性硬膜下・急性硬膜外血腫など)の手術をしました。
この頭部外傷の他、てんかんの研究後にアメリカボルチモアから帰国された石島副部長より、機能外科について学びました。
機能外科とは、患者さんの機能的障害を積極的に治療する分野で、てんかんの焦点診断から病変の切除や側頭葉切除などを行ったり、パーキンソン病の震顫・固縮などに視床腹外則核を電気凝固して治す方法です。
また、痛みを伴う患者さんには視床下部後部あるいは視床正中中心核の電気凝固をして治したり、脊髄に神経刺激装置を埋め込んで刺激する治療など、今でも通用するような治療法を行いました。現在は凝固治療も行いますが、より侵襲の少ないDBSと言って脳深部に刺激電極を埋め込み、特定の構造を刺激治療する方法が主流となっています。 
ついで腫瘍、さらに血管障害なども4年間勉強しました。
当時は脳外科の施設が少なかったので、松戸にあった東京外科内科病院へ夜の当直のバイトに行き、救急患者一般の診療や腹部の手術までも行っておりました。
ある日、院長が外出して帰って来られなくなった時に、腹痛を訴える患者さんがいらっしゃいました。そこで、自分で脊髄麻酔を行い開腹したところ、そこには腹膜炎を起こした虫垂炎があったのです。
私は外科で習った手技で摘出しようとしました。
そこへちょうど、院長が帰って来られたのですが、そのまま手術をやらせてもらった事もあります。
それも今では懐かしい思い出です。

また優秀なスタッフの指導のもと、同級生でもあり、今では「神の手を持つ男」と呼ばれている福島先生とベッドを二つに分けて、毎日殆ど泊り込みで多くの症例の手術を勉強させていただいた事は、実に充実したものでした。

アルバイトで見つけた聴神経腫瘍や頭蓋咽頭腫は「術者」としてやらせてもらいましたし、内耳道内の動脈瘤も、やはりその頃のバイト先で見つけて英文で症例報告(世界で2例目)をさせてもらいました。

ここで何故私が脳神経外科医になったかの経緯を説明します。 
もともと脳に興味が有ったのですが、野球部員であったことも手伝って、体力には自信があることと、体を動かすことが好きな自分は、外科系が自分には向いていると思っておりました。 脳と外科を合わせれば必然的に脳外科となります。
学生時代の医学部6年生の夏には、1ヶ月の休みを利用して虎ノ門病院の脳神経外科を見学させていただき、卒業後の昭和43年には短期間ではありますが、虎ノ門病院脳外科の特別レジデントとして働かせていただきました。
学生時代に見学した理由の一つは、脳神経外科という特殊な科を選択するに当たっては、自分に手術が上手にできるかどうかの適性を知るためです。
しかし、初期のころにそのような適性が判る訳も無く、判ったのは竹内一夫部長(後に杏林大学学長)の方針と、大学病院並みの多岐に亘る患者さんを診ることができたと言うことでした。
その当時の虎ノ門病院の脳外科では脳腫瘍の手術もそれほど徹底的に摘出するということはなく、「なるべく悪くならないように」というのが方針でした。
また、当時信州大学脳神経外科が無かったので信州の脳外科の患者さんはほとんど虎ノ門病院に紹介されて来ており、それこそ大学病院並みの多岐に亘る患者さんを、そこで診ることができました。 後に私のsubspecialtyの一つとなったてんかんでも、初めて患者さんのてんかん発作を目の当たりにしたのは、虎ノ門病院入院中の若い男性で、中心溝付近にあった動静脈奇形です。
私の診察中に自動症から全身痙攣に移行する発作を目の当たりに観察する機会に恵まれ、大きなインパクトを受けました。

脳外科を選んだ事に悔いは無く、2009年3月末には退任というのに、未だに臨床にどっぷり漬かっており、現在女子医大は日本一の脳腫瘍手術件数を誇っております。
毎日扱う手術もかなり困難な症例が多く、一筋縄では行かない手術が多いのが現状です。
しかし、何とか患者さんを治したいという気持ちと、困難な症例に対する意欲・情熱は失っておりません。
体力・気力も衰えることなく、ほかの病院では手術が難しくセカンドオピニオンで来られた患者さんも精力的に診療しております。

引退後は一般病院で今までと違った立場で脳外科疾患に立ち向かうつもりですが、手術成績が低下して、もう手術をやめた方が良いと思うまでは手術を「術者」あるいは「助手」として続けて行きたいと思っております。
何故、いつまでも手術を続けたいのか。それは、必要な手技を全て会得して達人になっているという実感がいまだに無く、手術結果が悪い時には特に挫折感にさいなまれるからです。
例えば、画像では判らないクッシング病の手術や、難治性てんかん、特に視床下部過誤腫の手術が挙げられます。ホルモン過剰症が治らなかったり、過誤腫に伴った笑い発作が治らなかった症例では、この患者さんは何が原因で手術結果が悪いのか?などと挫折感にさいなまれることがあります。
しかし、暫く経つと今度は何で良くならないのか、次にどうしたら良いのだろうかなどと考えることが多くなります。
脳外科に於いてはまだまだエビデンスが乏しいのが現状で、解決しなければならない臨床研究問題が山積しています。
私がまだ頑張ろうと思うのは、脳腫瘍やてんかん、血管障害などで苦しんでいる患者さんに医療を行うに当たって、若い教室員と共に手術をしていると、まだ少しは自分が役に立つのではないかと思うからです。

若い時代に外傷から始まった脳神経外科医の経歴の中で、いつもこのような気持ちが絶えることなく、40年経過した今でもさらに燃えているというわけですから、結局自分は脳外科医に向いていたのだと判断しております。
現在、脳外科医になろうとされている若い先生方、自分が脳外科医に向いているかどうか今の時点で判断することは難しいと思いますが、もし、脳外科で研修してみて面白いと思われれば積極的に脳外科医を選択してみてください。
好きこそものの上手なれという言葉があるように、恐らく脳外科にはまって生涯脳外科医を続けることになるのではないでしょうか。
脳神経外科は昔に比べ手術時間も短縮され、手術成績も向上しました。
更に色々な治療手段があり、必ずしも観血的な治療だけでなく、脳を刺激したり、ガンマナイフなどの放射線治療を施したりするので大変興味深い分野です。

よその分野の先生から言わせると脳外科は大変で3Kであると言う方も多いと思いますが、現状は女子医大では1日に4-5例手術があったとしても、夕方にはほとんど終わっております。 
ただ、解剖の勉強や手術手技で悩むことは多いので、その分生活が勉強の方に取られますが、昔に比べて術後の容態も安定するようになり呼び出されることも少なく、余暇が全く無いわけではありません。
更に脳外科は勉強することも多い代わりにつぶしも利きますので、途中でガンマナイフの専門となったり、血管内治療の専門になったり、最近では脊椎外科の専門になる人も多いようです。
ある程度脳外科一般を極めてから、それぞれの適性に応じてsubspecialtyに分かれるのも悪くないのではないでしょうか? 今後外科医に対してincentiveが付くようになれば、欧米の脳外科医並みの快適な生活も夢ではないと思います。

職歴 
1968年 4月 1日 虎の門病院脳神経外科常勤嘱託医補
1968年 9月 1日 東京大学医学部附属病院脳神経外科研修医
1969年 1月 1日 東京警察病院脳神経外科レジデント
1973年 6月 2日 東京大学医学部附属病院医員
1973年10月16日 東京大学医学部附属病院助手
1977年10月 1日 東京都立駒込病院脳神経外科医長
1981年 1月 1日 鳥取大学医学部附属脳幹性疾患研究施設脳神経外科部門 助教授
1984年 8月16日 鳥取大学医学部附属脳幹性疾患研究施設脳神経外科部門 教授
1995年 4月 2日 鳥取大学医学部附属脳幹性疾患研究施設 施設長
この間鹿児島大学医学部;岡山大学医学部;信州大学
医学部;富山医科薬科大学、島根医科大学医学部の非常勤講師 併任。また鳥取大学医学部附属病院材料部長・手術部長(現在)を併任した。
1998年 6月 2日 東京女子医科大学脳神経センター脳神経外科学主任教授

教育歴
1973年10月16日 東京大学医学部附属病院 助手
1981年 1月 1日 鳥取大学医学部附属脳幹研究施設脳神経外科部門助教授
1998年 6月 2日 東京女子医科大学脳神経センター脳神経外科学主任教授 研究歴
1968年 4月 1日 虎ノ門病院脳神経外科常勤嘱託医補
1968年 9月 1日 東京大学医学部附属病院脳神経外科研修医
1968年 1月 1日 東京警察病院脳神経外科レジデント
1973年 6月 2日 東京大学医学部附属病院医員
1973年10月16日 東京大学医学部附属病院助手
1973年10月21日 仏INSERM Unit 97, Research fellow
1974年10月21日 仏Sainte-Anne病院、脳神経外科 Resident
1975年10月21日 東京大学医学部附属病院 助手復職
1977年10月 1日 東京都立駒込病院脳神経外科医長
1981年 1月 1日 鳥取大学医学部附属病院脳神経外科診療副課長
1998年 6月 2日 東京女子医科大学脳神経センター脳神経外科学主任教診療歴

免許  医師免許(登録番号:196994号) 1968年8月12日
学位  医学博士(東京大学)  1976年4月28日
その他    
1968年3月18日 ECFMG合格    
1973年10月21日~1975年10月21日 仏、パリ、サントアンヌ病院脳神経外科留学    
1976年8月3日  日本脳神経外科学会専門医合格(第699号)    
1991年5月2日   日本リハビリテーション医学会認定臨床医合格    
1994年11月1日~12月31日  文部省在外研究員 アメリカ
1998年5月4日~5月18日 文部省在外研究員〔創造開発研究〕仏 リオン大学脳神経外科

学会活動など
日本脳神経外科学会専門医認定試験委員(会員の選挙による) 1991年より連続5期
日本脳神経外科コングレス運営委員(会員の選挙による)   1993~1995
第16回日本脳神経外科コングレス会長(松江、1996)
日本脳神経外科学会理事、専門医
日本脳神経財団評議員、
日本てんかん学会評議員、専門医
日本てんかん財団評議員
脳卒中学会理事、専門医
日本頭痛学会専門医
日本疼痛学会理事
日本ヒト脳機能マッピング研究会理事、事務局
海馬と高次脳機能学会幹事
脳卒中の外科学会理事
日本間脳下垂体腫瘍学会理事
日本脊髄外科研究会運営委員
日本小児神経外科研究会世話人
日本脳神経外傷研究会世話人
日本定位脳手術学会理事
日本てんかん外科学会理事